伴侶や大切な人を喪失すると、世界が一変しますが、それは一般的に良い方向への変化ではありません。
晴れやかだった世界が、真っ暗闇の世界に変わってしまいます。天地も前後左右も分からない。自分が立っているのか、座っているのか、横になっているのかもわからない真の暗闇。
そんな世界でいったいどう振る舞えばいいのでしょうか。
希望を失う
「度重なる不幸」という言葉があります。配偶者を失うことは人生最大のストレスといいますが、配偶者を失う事でそれ以外の社会的総喪失、経済的喪失などが否応なく降りかかってきます。
「大切な人を失う」ことは残された私たちにとって最大の出来事であり、最悪の出来事です。だからこそ世界が一変し、ひっくり返ってしまうように感じるわけです。
それはいわば、絶望ともいえる状態であり、深く深く落ちていく事になります。絶望をというのは希望を絶たれた状態であり、諦めや無気力感と言った感情が自分を支配している状態のことを指します。
「2人でひとつ」だったものが完全に崩壊してしまうのです。
落ち切った先に、さらに落ちていく
日々哀しみの中にいれば心身ともに疲弊していきます。無気力、だるさなど身体的な変化もありますし、うつ病などメンタルヘルスにも大きな影響があります。
どんどん落ちていく―私自身そういう感覚でした―どこまで落ちていくのかわからない。息をするのがやっとという状態です。自分でもコントロールできないくらい感情の波が激しく、何の気なしにいきなり涙が出たり、嗚咽したりしたかと思えば、次の瞬間には落ち着いている。
感情の起伏が激しすぎて自分でもどんな状態か把握できない、それ自体にも苦しんでいました。それが続くと本当に落ちるところまで落ちるのだなと認めざるを得ないわけです。
何が物理的な変化があるわけではなく、ただ感覚的に落ちていく。それだけはしっかりと感じていました。
途中、面白くなって笑ってしまった自分もいました。
絶望というのは、実は落ち切ったその先にあるということを体感すると、人は逆に開き直れるのかもしれません。
「もうどうにでもなれ」という諦めは、一周回って「もうどうでもいいから好きなように生きよう」と思う力にもなります。落ちた先に、まだその続きがあるとしたら何回心が折れるのが分かりませんが、粉々になった心はもうそれ以上には砕けません。
真っ暗な世界を歩く
この状態までくると天地も前後左右もわからない暗闇から少し手足を動かしてみようということも始めます。そもそも自分の周囲の空間が狭いのか、広いのかすら確認していなかったわけです。
それを手足を使って距離を測るというのは大きな進歩です。これはまさに「現在位置の確認」です。
改善にせよ改悪にせよ、それらが「良くなっている、悪くなっている」と判断できるのは、現状との比較だからです。現在地を把握することは、変化への重要な第一歩なのです。
※グリーフプロセスでは、愛する人の死を認める行為になります。
ぽっかりと空いてしまった1人分のスペースがあり、その空白だけを見つめていた時期から、自分の位置、その空白との距離、全体の広さや深さを徐々に把握することによって、自分らしいグリーフワークが始まるのです。
それはさながら真っ暗な世界を歩きはじめる行為と言えるでしょう。
今日はそんなことを想いながら過ごしています。