若年死別という経験をするとそれまで知らなかった世界が開けてしまうわけですが、例えば死別すると戸籍上も、寡婦(寡夫)なんて言い方をします。それまでは「未亡人」くらいの単語は知っていましたが、「かふって何?」という感じでした。
そんな状態から改めて「夫婦とは何か」を考えるようになりました。
夫婦は足し算ではなく掛け算
以前こんなツイートをしました。
妻を失った時、「ああこれは2人だったのが1人に変わっただけだ。前みたいに独り暮らしするみたいなもんだ」と言い聞かせたけど全然違ってた。
1+1=2 になったから、2-1=1 のはずなのにそうじゃなかった。
正しい式は、2-2=0 だった。
妻を失うと同時に自分も失ってた。#死別
— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) January 30, 2022
しかし、実は足し算ではなくもしかしたら「掛け算」なのではと気づきました。だから片方の数字がゼロになったら残りもゼロになります。
グリーフの場合、どんなに片方が頑張っても相手の不在のため、しばらくの間はずっとゼロになる感覚です。何をかけてもゼロ。そんな状態が死別後に続くのではないかと思います。
また、結婚して夫婦になれば「喜びは2倍に、哀しみは半分に」という名言もあります。しかしながらこれはお互いが生きているという大前提があります。
「喜びは2倍に、哀しみや苦労は半分に」と言うけど、これって自分も相手も生きているという前提ということに気づいた。
— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) May 10, 2022
このどちらも、夫婦としての相乗効果はあるけれど片方だけになってしまうと半減どころかゼロ(下手したらマイナス)になってしまうのではということです。
死別してもなお夫婦のカタチを保つ
一方で、相手が亡くなっていたとしても「夫婦の絆」は無くなることはないと考えています。なぜなら私たちは相手の生死にかかわらず、その人の幸せを祈ることはできるからです。
「今は穏やかに過ごしてほしい」
「苦しまなくていい、楽しい毎日を過ごしているだろうか」
「充実した日々を送ってほしい」
自分のことはさておき、こう願うはずです。私たちは無意識でも生と死の境界を越えてメッセージを届けているのではないかと思うのです。
愛する人が亡くなったとしても、愛する人とのつながりは弱まることはありません。むしろお互いに強く結びつくのではないかと思うのです。それは生と死の異なる世界にいるからこそ、より一層強い気持ちをもってつながりを保とうとするのだと思うからです。どちらか一方ではなく両方から相手を想うのです
— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) February 12, 2022
つまりこちら側とあちら側からと、お互いに橋をかける行為です。
こういった行為を信じ、日々積み重ねていくことによって「夫婦の絆」はより一層強固になり、そしてこれまでとは違った次元での「夫婦のカタチ」を構築することができるのではないかと思います。
今のこの苦しい状況、哀しい状態が徐々に変化していったとき、新しく見えてくるものがあるのではないかと思います。
蛇足ですが、お互いが生きていても仮面夫婦や機能不全家族は多く存在します。愛情や尊敬をもって接することをせず、時には離婚、虐待や DV など哀しい事件に発展することもあります。そういう夫婦や家族を見ると、果たして自分たちはどうなんだろうか、生前はお互いに理解しあっていただろうかと確認するのです。
本当の意味での、そして自分にとっての「夫婦」とは何か。
今日はそんなことを想いながら過ごしています。