グリーフでは、あらゆる困難が降りかかります。その時に問われるのは、自身の態度です。
悲嘆から絶望を感じるのか、それともわずかな手がかりや光を見ようとするのか。当然後者の方が良い訳ですが、実際にはそう簡単なことではありません。
今回はその手助けとなる「ユーモアの力」について解説します。
ユーモアの力は、どんな時でも使える
ユーモアといってもなかなかピンと来ないかもしれません。検索すれば様々な解釈が出てきます。グリーフにおいては、「哀しい出来事に別の意味を持たせることができる能力」とでもいえばいいでしょう。
出来事が起きてしまったこと自体は変えられませんが、その意味づけを変えるという点ではナラティブアプローチと通じるものがあります。
それでも人生にイエスと言う
VE・フランクルの「それでも人生にイエスと言う」という著書があります。
(内容は非常に重いのですが、ぜひ一度ご一読いただくことをお勧めしています)
この著書の中でフランクル氏は「私が人生に何を期待できるか」ではなく「人生は私に何を期待しているのか」を問うべきだと言っています。
つまり、「あなたは、こんな人生最悪の状況で何ができるのか?」と人生から問われているということです。
この視点の移動(人生から見たあなた)は、非常に重要です。ユーモアもこれに近しい所があります。
テレビ番組でお笑い芸人が漫才をして、それが面白いと感じるのは「そういう見方があるのか」と気づかされるからです。それが馬鹿げているから笑ってしまう訳です。
もちろんグリーフワークでは「笑い」は非常に遠いところにあるため、そんなに簡単なことではありませんが、「クスッとした」笑いくらいは作れるかもしれません。
「哀しみの側面しか見れなかった事象に対して、反対側から見てみるとどうなるのかな?」という視点は、絶望の中にあってもできることですし、それがもしかしたら小さな光を作ってくれるかもしれません。
視点を変える質問
実際に、私の例をご紹介します。
これまで二人で一緒に食事をしていた。
妻の死後、ひとりぼっちで食事をすることになった
味気ない、楽しくない、食事というよりもエサという認識
この状態でユーモアを活用するとどうなるのか。
美味しいご飯をひとり占めできる!
いかがでしょうか。「ひとりの食事」という事実は変わりません。ひとりぼっちなのか、ひとり占めなのか。言葉遊びのように見えますが、実際に大きな効果があります。
後者の場合、「早くしないと全部食べちゃうよ?」といった気持ちも湧きました。それが空しいと感じることもありますが、明らかに視点が変わった瞬間であり、それ以外にも応用できるようになりました。
ここで大切なのは、適切な質問を自分に投げかけるということです。
「本当に哀しいのか?」「何が哀しいのか」といった質問も大切なことですが、「自由になったことって何だろう」「それを反対から見たらどう見えるだろう」といった質問です。
ビジネスの現場ではよくアイデアを出すためのツールがありますが、それに近いものがあるかもしれません。ユーモアを活用するためには視点を変えるトレーニングを積めば、徐々にできるようになってくるでしょう。
今日はそんなことを想いながら過ごしています。