死別体験からくる大きな悲嘆の感情は、誰に取っても耐えがたく、またその後の人生に長く横たわるものです。
「人間は感情の動物である」と言われますが、まさにこの「感情」があるからこそ、私たちは嘆き哀しむわけです。
ではもし感情を完全にコントロールできたら、楽になれるのでしょうか。またそのためにはどうすべきなのでしょうか。
感情コントロールには順番がある
まずはじめに、すべての感情をコントロールすることは不可能です。人間には無駄もムラもあり、だからこそ人間だからです。その上でどのように感情をコントロールするかの順番を理解する必要があります。
以下の図は、グリーフワークにおける様々な感情のコントロールの流れです。
それぞれを解説します。
感情の表出
死別直後から、私たち遺族は大きな哀しみに囚われ、日々の生活が従来のものとはガラッと変わり、文字通り息苦しい日々を過ごすことになります。二次的喪失などが重なるのもこの時期であり、心身ともに疲弊していきます。にもかかわらず、愛する人を失ったことを現実的に捉えられなかったり、また怒りに任せていたかと思えば急に泣き出したりと、情緒が不安定になります。
様々な感情がランダムに押し寄せてくるため自分自身をコントロールすることができません。そして「コントロールできていない自分」をさらに許せなかったりと、もうひとりの冷静な自分(実際には冷静ではない)がうまくいかないことに対して罪悪感や怒りを感じます。
しかしこれらは大変重要なステップでもあり、泣きわめいたり、怒ったり、罪悪感を感じたりという行為は、自分がうまく処理できないものを表現しているのであり、感情をしっかり表出することはまったく問題ありません。
逆にここで無理をして涙をこらえてしまったり、冷静になろうとして自分の心の声を無視しようとするとそのあとのステップも滞ってしまいます。
悲しむ行為そのものを避け続けると、後々に大きな悲しみとなって返ってきます。仕事で誤魔化したり無理くり考えないようにして予定を詰め込んだりする人がいます。短期的にはそれで誤魔化せたとしても、数年後、ふとした瞬間に一気に悲しみに飲み込まれてしまいます。そうなるとかなり苦しくなります。
— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) April 16, 2021
言語と感情の一致(インプット)
感情を出そうとすると、どうしてもそこにはある程度の「言語表現」が必要になってきます。
映画や書籍、または信頼できる人の言葉というのは、とても重要です。自分自身がしっくりくる言葉を見つけた時、その感情はその言葉と紐づいて、自分でコントロールしやすくなります。
そういう地道な作業、いわばインプットを行うことによって自分の感情の幅を持たせることできる上、次のステップである「他者へ伝える」という事も可能になります。
言語による感情表現(アウトプット)
インプットが進むと自分の中で整理が始まります。「哀しい」という単語をとってもグラデーションができてくるわけです。
「どう哀しいのか」の種類が増えていけば適切な言葉を選択して他者に伝えられるようになります。
例えば、「雨がしとしと降っている」「ザーザー降り」「パラパラ降っている」「土砂降り」「霧雨のようだ」「小雨だね」のように、同じ雨でも様々な表現が存在し、それぞれが雨であることは理解できてもグラデーションがあることが分かります。
哀しみも同様に表現できるようになると、自分がどんな状態かも把握できますし、他者の理解も深くなります。
様々な反応(自分、他者)
感情を上手に表現し、伝達できるようになると、それに対しての反応(自分自身、他者)があります。アクションすればリアクションがあるわけですから、どんな反応だったのかを捉えていきます。
「相手の共感を得られた」のか、「自分でもしゃべっていてすごくしっくりきた」のか、それとも「イマイチ伝わってなかったみたい。誤解された」のか「何かちょっと違った。もう少し違う表現があるのかも」なのかもしれません。
色々な反応を受けた時、それに対して再度感情が動くことになります。
表現できない感情
反応→感じたことがうまく表現できないと、最初の「感情表出」に戻ります。「これはどう表現すればいいのだろう」と思うものについては、改めて最初から取り組むことになります。
そうやって、ひとつずつですが、正体不明のモヤモヤをクリアにしていく作業が重要です。
もちろんすべての感情がこのように整理できるわけではありません。
しかし、モヤモヤした感情がずっと続き苦しい思いをするくらいなら、できるところからスタートし、自分の感情を見つめ直したほうがいいでしょう。自分の感情をある程度冷静に捉えることができると、グリーフプロセス中も大きく乱れることは少なくなるでしょう。
冷静さを取り戻すということではなく、哀しみをフラットに捉えていくために重要な感情のコントロールですので、時間はかかりますが、日々取り組む価値は高いと言えるのではないでしょうか。