グリーフワークの過程で、しばらくしてから気づくのが「ああ、自分っておかしくなってるんだな」ということ。何かにつけて反応し文句を言ったり、あらゆるものを拒絶したりして「ああ、人間が壊れているな」と思うこともしばしば。
その時は気づかなかったのですが、完全に認知が歪んでいる状態でした。
混乱しているときには誰でも判断が歪む
「認知が歪む」とはどういうことかについては以下のページで解説していますのでご覧ください。
このように、実は認知の歪みがあること自体は、死別したから、喪失したから起きるわけではなく、このような経験がなくとも日常的に起きているのです。
「なんでそういう捉え方するかな~?」「もっと素直に受け止めればいいのに」「え?この話ってそうやって解釈されてしまうわけ?」といった経験は誰しもあるのではないのでしょうか。
こうなると「伝え方が悪かった」という話になりがちですが(事実そういう原因もありますが)、単純に相手の認知が歪んでいるケースも多々あります。そして大抵こういうケースはネガティブに捉えられることが多いようです。
つまり、ネガティブな認知をすることで、拒否反応を示したり、しかめ面したり、怒りだしたりと、様々な反応を示すわけです。もちろん死別体験においては、それ自体が悪いことではないですし、もっと言えばそれだけの大変な出来事だから仕方ないともいえます。
ただし、自分自身で「それ、歪んでるよ」って思えるかどうかというのは、直後の感情や行動に影響する重要なポイントになるので注意が必要です。
「認知の歪み」を認知しているときに気を付けたいこと
では物事を素直に捉えられなくなっていたり、どうしても穿った見方をしてしまうとき、どう対処すればいいのでしょうか。これはグリーフワークでも言われていますが、2つのポイントがあります。
認知が歪んでいる際には極力重要な判断を避ける(先延ばしにしてもいい)
認知の歪みが起こる原因は様々ですが、伴侶の喪失がもっとも大きな原因でしょう。価値観が揺らぎます。そんな中で見聞きする物事は、当然素直に受け入れることはできません。
グリーフではよく言われることでもありますが、「重要な判断はしない、先延ばしにする」というような対策もあります。感情に任せて決めてしまって後で後悔するというのは避けたいところです。(そうでなくても後悔だらけの日々を過ごしているわけです)
現状維持、いまの生活リズムを守っていく事の方が重要ですし、死別直後はこれすら困難になるからです。
間違ってもいいのだと自分を赦す
また、もし判断をして間違ってしまったとしても、それを引きずらないような努力は必要です。
「だってしょうがないじゃん。こんな辛い時なんだからさ」と自分を赦してあげる言葉をかけるべき。
死別体験をしなくても人は間違いを犯します。選択をミスすることはあるのです。だからこそ、間違って当たり前だし、間違ったことは悪いことではないのだと自分に言い聞かせることも大切です。
「認知の歪み」をなおすには言語化やカウンセリング相談(客観視、俯瞰)
このように、「認知の歪み」によってグリーフがこじれてしまうのはできるだけ避けたいところですが、具体的にどんな対策があるのでしょうか。
その答えは「言語化」です。
自分の気持ちや考え、感じたことをひたすら「言語化」することによって思考や感情が整理されていきます。
自分の頭の中で考えると堂々巡りになりますが、文章にしようとすると整理された形でアウトプットされます。それを自分で目視して再認識することになるので冷静になることができます。
文章にすると「あれ?これおかしいな」と気づくことがあるかもしれません。
すぐにできるのは(ブログでもオススメしていますが)、「日記を書くこと」です。誰にも見られることの無い自分の想いを書き続けることができます。個人的にはこれは本当にオススメです。書きたいときに書く、何ページ書いてもいい、誰にも見られないから安心という「自由」があります。
※ブログなどネットでも良いとは思いますが、誰が読んでいるか分からないし、自分の感情を制御してしまいます。また「誰かに読んでほしい」という考えもどこかで働くはずです。そんなことを考える余裕はないですし、自分の感情に素直になれない。それよりは紙に書く方がベターです。
また、プロの手を借りる、サポートを受けるといった方法でもいいと思います。相性のいいカウンセラーを見つけられれば、ずっと気持ちが楽になります。
※サポートグループについては良し悪しがありますのでご自身のご判断となります。
言語化することによって客観視することができ、混乱する情報を整理することができます。その情報を徐々に整理したりバラバラにしてみたり、何かとつなげてみたりということでグリーフ全体を俯瞰できるようになります。
そうやって認知の歪みを徐々に修正、調整していくことで(哀しみはなくなりませんが)自身のグリーフを追究できるようになるのです。
今日はそんなことを思いながら過ごしています。