死別体験者(いわゆる当事者)と、周囲の方々とは様々な面で温度差があります。死別のショックのため、その温度差に気づかず、意図せず傷ついてしまうことも多いのが死別体験です。
価値観がグラグラと揺れている時には「自分が悪いのかな」とか「自分がおかしいのかもしれない」と自分を責めてしまいがちです。
今回はそういったことができるだけ少なくなるように、どうすればいいのか考えてみたいと思います。
当事者以外には理解されない苦しさ
以下のツイートはやはり同様の経験をした人が多いことの証左になるのではないでしょうか。私自身、それっぽいアドバイスを数えきれないほど受けてきましたが、未経験の方のアドバイスを受け入れても心のどこかでしっくりこないことが多かったのは事実です。
またどこかで「でもあなたの伴侶は生きているじゃないか」という気持ちがあったことも正直なところです。
いずれにしても「死別体験者でなければ絶対に分からないものがある」と確信するようになりました。
究極的に言うと「グリーフは個人的なもの」なので近しい人に何を言われようが、他人に何を言われようが、ぶっちゃけどうでもいいわけです。完全に無視してもいいレベルです。なぜなら自分の哀しみは自分だけのもので到底他人には理解できっこないからです。究極的ですけどね。#死別
— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) March 23, 2022
誰も「5年後には元気になってないといけない」なんて決めてないですよね。「3年後にはもうすっかり立ち直ってないと」とかおかしいのは誰しも分かるはずなのに、周囲に「前向きに行かないと」とか「皆、辛いことあるんだから元気出して」などと言われると混乱してしまいます。同じことなんですけどね。
— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) March 17, 2022
「こうした方がいい」「あれはやめた方がいい」といったことを言ってくる人がいますが
・そもそも死別体験していないので聞く必要なし
・「した方がいい」というのはその人にとって「した方がいい」ことの場合が多いので聞く必要なしということで聞く必要ないと思います。#死別
— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) March 25, 2022
相手が悪いわけではない
なお、誤解を招きそうなので補足しますが、これらの内容は当事者以外を敵視しているわけではありません。
相手は真剣にそう思って発言してる場合もありますし、何とかしないとと思っていることも多いはずです。実際、自分が逆の立場に立ったら同じ発言をしていたかもしれません。
ただ、たまたま、今回は自分が「死別体験者=当事者」となっただけの話です。しかしながらそうなることで、心のバランスを崩し弱り切っているところに、「いつまでも哀しんでたら亡くなった人も成仏できないよ」と言われてしまうと、すごく堪えるわけですね。
自分自身ですでに責めていたり罪悪感を感じていることがほとんどですが、心が悲鳴を上げているにもかかわらず、それでも気丈に振舞わないといけないと思いこんだり、またひどくなると、それによって鬱病を発症したりすることもあります。
私自身も最初は「そういうものなのかも」と思っていましたし、「早く元気にならないといけない、誰だって辛い経験をしているのだから自分だけ落ち込んでいる場合じゃない」と思っていましたし、そう思うようにしていました。
しかし、頭では分かっていても元気になれない。むしろ、日々の生活そのものがどんどんしんどくなってくるのです。
そして気づきます。本当は今でも哀しくて哀しくて仕方ないのだと。
自分らしく、マイペースで哀しむ
結局のところ、死別経験者の間でも差異があるくらいなので、自分の哀しみ方をするしかありません。やがてこれらを経験して中で「グリーフは固有性の高いものなのだ」という単純な事実が、腹落ちする瞬間がやってきます。
そして、だからこそ自分らしく、マイペースで哀しむことがとても大切なのだということです。
【自分らしく哀しむために】
・不幸かどうかは自分で決める
・泣く泣かないは自分で決める
・哀しむ時間は自分で決める
・若く亡くなった人を可哀想とは言わせない
・同じ経験をしていない人の意見は参考にしない
・哀しむ行為を恥じない— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) March 18, 2022
グリーフはユニークなものであり、自分自身を癒すのは自分自身でしかありません。
自分の哀しみは、自分だけのもの。その哀しみは人に渡してはいけない、大切なものなのです。
これを理解しておくことで「他者には絶対に分かりえないものがあるのだ」という前提に立つことができるので、他者からの言葉をどこまで受け止めるのかという線引きもしやすくなります。
哀しみは、愛の裏返しの存在
哀しむ行為は、遺族にとって大変苦しく辛いものです。涙を流せば疲れますし、ずっと頭から離れない哀しみは私たちを疲弊させるのです。
しかしそれでも、私たちは哀しみを手放してはいけないと思うのです。
緩急をつけ、哀しみとの距離感を測りながら、それでもきちんと真正面から哀しむようになることこそ、大切な人を愛する行為であり、それは遺された私たちにしかできない尊い行為だからです。
今日はそんなことを想いながら過ごしています。