喜怒哀楽という感情のうち「哀しみ」と「怒り」が残りの感情を飲み込んでしまうのが、私たち遺族の普段の感情でしょう。
特に喪失直後には、この感情を中心に様々な感情が心の中を渦巻いています。それは亡くなった人にさえも向かうのです。
最初は「どうして死んでしまったのだろう」という問いの答えを探し続けていた。もちろん死因はガンだ。
ただそのレベルではない答えを求めているが、いまだハッキリしないため非常に苦しんだ。「何故妻なのか?」この答えも出ていない。世の中にはもっと悪い奴が沢山いるのに何故生きているのか?— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) August 25, 2021
誰に聞いても自分がほしい答えはありません。実はこの段階では、本当の哀しみはまだ陰に隠れているのです。
死別初期では「逃げ出したくて仕方がない」
そもそもこれらの感情が優先している状態では、本当に哀しむことはできませんし、受け入れることもできません。とにかく一刻も早くこの状態から抜け出したい。逃げ出したくて仕方ないという心理状態が続きます。
「大切な人が亡くなる」などという、絶対にあってはならないことが起きてしまったこの瞬間を認められず、とにかく逃げるしかないと思っています。
逃げてしまえば、実はこれはすべて嘘で、愛する人は帰ってくると思うのがこの心境でしょう。
哀しみと付き合うという発想
やがて少しずつ気持ちの表現や整理ができてくると、ようやく深い哀しみ(悲嘆)が襲ってくることになります。哀しみは時に激しく、また静かに心の中にやってきます。残念ながらこれらに対して私たちはなす術がありません。
ただ涙を流し愛する人を想う日々を過ごすしかないのです。
そしてこれもある種の諦めではありますが、逃げるのではなく「うまく付き合っていくしかない」と思うようになります。哀しみをコントロールすることは困難ですが、哀しみで覆われた時に対処する方法をいくつか使えるようになってくるわけです。
そうやって騙し騙しではありますが哀しみと付き合っていくようになります。
哀しみは愛する人とのつながり
愛する人を想って涙し、哀しむという悲嘆の感情は、「大切な人の死」が起因ですから、大切な人を想い出すことと哀しみは常にセットになります。まるで哀しみが私たちと亡き人をつないでいるように思う事さえあります。
あんなに笑顔が絶えなかった毎日だったのに、それがいつしか哀しみで覆われてしまう日々に変わってしまった。
この事実に愕然とするわけですが、本当にそうなのでしょうか。確かに哀しい気持ちは絶えることはありません。しかし、それまで愛だったものが突然哀しみに変わってしまったのでしょうか。
生前、愛する人との間にあったのは哀しみではなく愛だったはずであり、それは間違いありません。自分以外の誰かを愛することは、こんなにも素晴らしいのだと涙を流す事もあったはずです。
つまり、愛が無くなった、また、哀しみに変わってしまったわけではないのです。愛はただ今は見えなくなっているだけ、哀しみに隠されているだけと言えます。
私たちは愛する人との絆はいまだ消えず、むしろ強固なものになっているのではないでしょうか。アタッチメントボンドという言葉があります。これはつまり「絆」のことですが、まさに私たち夫婦の中心にあるのはこのアタッチメントボンドであり、この絆の中心要素こそ愛なのだと言えます。
愛は失われていない
今は確かに深い哀しみ(悲嘆)が横たわり、大切な人のことを哀しみ無しに想うことができません。しかし、将来はもう一度愛を感じるようにしたいと思いたいところです。
それこそがグリーフワークであり、その過程こそがグリーフプロセスなのです。
人を愛することができるというのは、それだけで幸せな感情だと思います。心がじわっと温かくなる感情や想いは、得難いものですし、死別体験者はそれを容易に理解できるでしょう。
あの感覚をもって愛する人を想いたい。そんな日がいつか来ることを願い、今はまだ哀しみに覆われた日々を過ごすことにしたいと思います。
今日はそんなことを想いながら過ごしています。