死別体験から来る「痛み」には様々な種類があります。グリーフプロセスにおける「痛み」を理解することは、自分自身のグリーフをより深く理解することになります。
ただただ「辛い」「苦しい」だけの時期から、「痛みを理解する悲しみ方」があることを知れば、より深く自分の大切な人とつながることができます。
痛みの種類
はじめに、痛み(Pain)には、4種類あると言われています。
身体的な痛み
心理的な痛み
社会的な痛み
スピリチュアルな痛み(スピリチュアルペインとも呼ばれる)
順番に解説しましょう。
身体的な痛み、苦痛
これは文字通り、身体の痛みを指します。たとえば、病気やケガでも体に痛みがあるわけですから誰しもが経験があるでしょう。また死に至る病気(ガン等)の場合には、日々その痛みが襲ってくるわけです。これが肉体だけでなくこの後に続く様々な痛みを生み出すことにもなります。
社会的な痛み
社会的な痛みというのは、仕事上に問題が起きたり、経済的な問題が起きるときに感じる痛みです。この場合は苦痛という表現の方が適切かもしれません。
例えば、自分がガンになったと仮定した場合、「仕事を辞めて治療に専念するのか」「入院や治療でいったいどのくらいのお金がかかるのか」「払えるのだろうか」「それによって妻、または夫、家族に迷惑をかけたりしないだろうか」といったことです。
実は、これは当事者だけが感じるものではありません。残念ながら大切な人が旅立った後、私たちも遺族として痛みを感じるのです。社会との断絶を感じたり、看病のために仕事を辞めなくてはならなかった場合には、仕事を喪失していたり、またそこから経済的な側面に悪影響が出ていたりと、社会とのつながりを完全に断たれてしまうことによる痛みや苦痛は、その後も続きます。
心理的な痛み
心理的な痛みは、例えば「怒り、恐怖、不安、孤独」などの心理を感じている状態を指します。これらのネガティブな感情は、ガンになってしまった当事者もそうですが、死別後の中でも大きなネガティブの感情ばかりです。
例えば、「どうして自分を置いて死んでしまったのだ」というような、亡くなった方に対しての怒りもありますし、「自分だけこんな目にあってなぜ世界は幸せそうにしているのだ」といった怒りなどもあります。
また「大切な人が亡くなってしまって、これから私はどうすればいいの?」という不安や、先の見えない恐怖もあるでしょう。それらがドンドン強くなれば孤独感を感じるようになり、うつ状態になりかねません。
実際に死別体験をしている人でうつ病と診断される人は多いです。それだけ心が弱ってしまう事態なのです。
スピリチュアルな痛み(スピリチュアルペイン)
最後のスピリチュアルペインは、さらに深い部分になります。
例えば「あの人が亡くなってしまったのに、生きている意味はあるのだろうか」「そもそも私は何のために生きているのだろうか」「あの人の代わりに私が死ねばよかったのではないか」「あの人のように死にたい/死にたくない」「何もかも奪っていった死が怖くて仕方がない」「こんなに苦しいのにはいったいどんな意味があるのか」といった様々な疑問が浮かび上がります。
これらは、愛する人の死という事実によって、自分自身の「価値観」が揺さぶられている状態であり大変危険な状態ではあります。
トータルペイン(全人的な痛み)
これらの痛みの種類自体は、緩和ケアの観点から患者さんが感じるものとされていますが、愛する人、大切な人と引き裂かれるような事態は、亡くなる方にとっても、また残される側にとっても複数の絡み合った痛みや苦痛を遺していくのです。なお、緩和ケアの現場では「全人的な痛み」という言葉で表現されることもありますが、ただ体が痛いだけではなく、上記に挙げる様々な要因によって痛みを感じているのだという概念です。
痛みを感じたら
さてこのような様々な痛みや苦痛を感じた時、私たちはいったいどうすればいいのでしょうか?
グリーフワークにおいて、何か特別な感情を持った時にそれらに対しての対処法を知っているのといないのとでは、自分自身の理解度が変わってしまいます。痛みを感じた時の対処法をご紹介します。
痛みを分類する
死別直後から、特に抑えきれない衝動や感情が突然沸き起こることがあります。自分でもまったくコントロールできない感情が噴出したとき(なかなか簡単ではありませんが)、前述の4つの痛みのどれに該当するのかを考えます。
頭で考えられない場合には、メモに書いて目立つところに貼っておくのも良いでしょう。苦しくなったらそれを見るのです。
それを見ながら「いまの感情」は何に該当するのか、分類するのかを考えるようにするとそれだけで少し落ち着くことができます。
痛みを具体的に言語化する
そしてそれらの痛み(感情)を、言語化します。
例えば「激しい怒り」を感じ、胸が苦しくなった場合、「心が燃えたぎるような怒り」なのか「誰かを傷つけたくなるような暴力的な怒り」なのか、などを具体的に言語化します。特にメモを取るのが良いでしょう。
言語化というのは、自分の中にある感情を外部に吐き出す行為になりますので、その時点でかなり冷静になれるはずです。沸々と怒りがわくのか、それともマグマのような燃え盛る怒りなのか・・・自分の今の感情にあった表現を探す必要があります。
しかしこのようなトレーニングをしていくと、徐々に(本当に徐々に)こみ上げる感情を冷静に捉えられるようになってきます。それは自分自身の衝動的な行動を制御したり、自暴自棄になるのを防いでくれます。また自分の感情を他者に正確に伝えることもできますので(時間はかかりますが)大変お勧めです。
様々な痛みがあるのは「愛のしるし」
また「こんなに苦しい思いをするくらいなら死んだ方がマシだ」という意見もありますが、そもそも色々な痛みを受け取れるのは自分自身だけなのです。それはなぜかと言えば答えはひとつ。
愛する人を喪った痛みは、その人を心から愛していたという証拠に他ならないからです。
1人の人を、人生をかけて本気で愛していなければ、これらの痛みすら感じることができないのです。
たしかに「これらの痛みを感じるために一緒になったわけじゃない」という声もあります。しかし、「一緒になったのにこれらの痛みを感じることができない相手がいる」、そして「そんな相手を選んだ自分」の方が人生の彩りが少ないのではないでしょうか。
そうです。痛みこそ、苦痛こそ、愛のしるしなのです。