コラム

時間薬

グリーフワークでは必ず登場するといっていい「時間薬」という言葉があります。「時間が癒してくれる」という意見がある一方、「時間は関係ない」という意見も見られます。

果たして時間薬とは何なのか、私個人の意見はさておき、アンケートを取ってみることにしました。

「一般的な期間は3年」と言われているにも関わらず

アンケートの結果を見ていささか驚きました。というのも、愛する人との死別後、グリーフワークを(ある意味強制的に)継続し、そしてそれらを受け入れるまでの一般的な期間は、3年程度と言われています。

にも関わらず、アンケートではそれより長期間哀しみや苦しみを感じながら過ごしている人が多いということです。5年以上かかってようやく、涙無しに語れるようになるとか、笑顔の時間が増えたとか、新しい目標が見えたとか目に見える変化が起きているのではないかと推測します。

「乗り越える」のではなく「受容する」

つまり世の中で言われている「時間薬」などというものはまったく当てにならないという事です。にもかかわらず、非当事者(周囲)は頑なにこの「時間薬」を信じているということです。

そしてそれに釣られて、冷静な判断ができる状況にない当事者もそれを信じようとするのです。そうではないのです。

「乗り越えなきゃ」という間違ったゴール設定こそが私たちを間違った方向に導くのです。「時間が経てばすべて乗り越えられる」わけではないのです。

本当の「時間薬」とは

この「時間薬」という言葉は非常に便利な言葉ですが、誤用されているとしたら改めてここで定義しておく必要があるでしょう。

一般的には「どんなに苦しいことも辛いことも、時間が経てば解決する」という意味で使われているようです。

しかし今回のアンケートを見る限りはそうではありません。

時間が解決するなら、なぜ10年、20年経っても苦しんでいる人がいるのでしょうか。それとももっと長い時間軸(100年、200年)のことを時間薬と呼ぶのでしょうか(だとしたら死を迎えることになる可能性が高いため、たしかにそれで解決!なのかもしれませんが)。

そうではないことは分かるはずです。

苦しい、辛い時間であっても、独りもがきながら生き抜いているのです。その状態から徐々に知識や経験、周囲のアドバイスなどを吸収し、自分自身の理解が深まっていくことによって、自分らしく「受容」へと向かうのです。それを振り返ってみた時に「ああ、いつの間にか 3年も経ったのか」と感じるのです。

これが時間薬の本当の意味でしょう。

「時間が経てばすべて解決する」といった他責思考では、哀しみを理解し受け入れることなどできません。

それでも哀しみはなくならない

愛する人が亡くなったことにより、喪失感が強くなり、悲嘆感情ばかりが溢れてきます。アンケートを見る限り、5年近くの歳月をそのような状態で過ごさなくてはならないのです。

確かに、死別直後の刺すような哀しみや痛みは軽減されるでしょう。しかし経年してからの哀しみは、静かに忍び寄り、突如沸き起こることもあります。普段は姿を見せなくとも何かのきっかけで深い哀しみの底に私たちを引きずり込んでしまうこともあるのです。

そうやって「今度はいつやってくるのだろう」と哀しみに怯えている人もいるのです。

周囲にはそれが理解しにくく「やがて元気になるだろう」と勝手に想像しています。そして期待したように元気になっていないと「いつまでも哀しんでても、故人も喜ばないよ」といった言葉に変換されるのです。

哀しみがゼロになることはありません。もしゼロになるとしたら、それは大切な人が元気に生き返った時でしょう。しかしそんなことが起きるわけがないということを私たちは知っています。

だからこそ大いに哀しむのです。

哀しい気持ちは決して否定すべき感情ではありません。大いに哀しみ、大いに嘆くことによって私たちは自分自身の感情を理解し、把握し、表現することができるのです。そしてそういった時間を過ごしてきた後に本当の「時間薬」の意味を理解するのです。

 

今日はそんなことを想いながら過ごしています。

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dan325

10年ほど前に妻を癌で亡くしました。若年死別経験者。愛する人や大切な人の喪失や死別による悲嘆(グリーフ)について自分の考えを書いています。今まさに深い哀しみの中にいる方にとって少しでも役に立てれば嬉しいです。

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