人は、日々、選択をしています。「選択の連続」こそがその人の人生を作っていると言っても過言ではありません。例えば、朝ご飯はパンを食べるのか、それともご飯を食べるのかといった日常の小さな選択から、大きな買い物をするときの判断や仕事での判断など、様々なレベルで選択を繰り返しています。
人は 1日に 35,000回の決断をしているとも言われています。
選択というのは、A と B の2つのうち、どちらか一方に決めて採用することです。逆を言えば、選ばなかった方は、自主的に失っています。
朝食にパンを食べるなら、ご飯を食べるという選択は失っているというのは誰でも分かることでしょう。
つまり、選択されなかったものは(経緯はどうであれ)喪失していると言えます。一般的に喪失とは、モノをなくしたり、健康が損なわれたりすることなどを指します。
喪失の種類
「喪失学」によれば、喪失とは以下の 5つに分けられるとあります。
人物の喪失
これは、まさに本サイトがテーマとする重要な部分であり大切な人、愛する人、家族や友人などと死別することです。ただし広義の喪失では、離婚や失恋、友人との別れなども喪失に含まれます。
所有物の喪失
所有物の喪失というのは大切にしていた物を亡くしてしまうとか、壊れてしまうなどが該当します。(また、これは怒られてしまいそうですが)ペットの死なども所有物の喪失に該当します。
※ペットは家族だというご意見を否定するものではありません。あくまで解釈上のカテゴライズです。
環境の喪失
環境の喪失というのは、最も分かりやすいものでは転職や引っ越しなどが挙げられます。慣れ親しんだ居場所や思い出の場所から離れること=喪失と捉えることができます。一見「環境を変える」というのは、前向きなイメージが強い言葉ですが、喪失という観点から見ると、環境が変わるということは「それまでの何かを失っている」ということなので、グリーフではそちら側の視点が重要な意味を持ちます。
身体の一部分の喪失
身体の喪失の場合には分かりやすいのですが、事故や病気によってもともと持っていた身体機能の一部を失うということです。例えば事故によって下半身不随になってしまったり、年を取っていくと若い頃にできていたことができなくなったりしますし、また老化が進むことで、できないことが増えたりということなども含まれます。
目標や自己イメージの喪失
目標を見失うと人は迷走します。大切な人を失うという出来事によってダメージが大きいのは「目標の喪失」でしょう。またそれに伴い自己肯定感も下がるので、自分自身に強い罪悪感をもったりセルフイメージが大きく毀損します。
グリーフにおける喪失の種類
では、グリーフの場合はどうでしょうか。
グリーフ、特に伴侶の喪失で大きく取り上げられるものをご紹介します。
社会的喪失
社会的喪失とは、例えば伴侶をうしなったとき、その伴侶に紐づく属性や人的ネットワークなどが途切れてしまうことです。簡単に言えば「愛する夫が亡くなったため、夫の会社でのポジション、それに伴う報酬なども合わせてなくなる」ということです。
幸福学でいうところの「地位財」を失うケースが多いようです。また自分自身も就業することが難しくなったりして役割を喪失するケースもあります。
※地位財:所得、社会的地位、物的財
肉体的喪失
こちらは前述の「身体の一部の喪失」に似ていますが、伴侶や愛する人を失ったケースで限定すると、「最愛の人に触れることができない」「触れてもらうことができない」という喪失感です。
精神的喪失
感情や心理的側面においてまったく制御ができないようになります。「今まで平安に過ごしてきた自分」ではなくなり、怒りや抑うつ、激しい哀しみや痛みなどを日々感じるようになります。夫を失ったケースでは、「一家の大黒柱を失った」という精神的支柱にも関連し、精神面で重大な負荷がかかってしまいます。やがてそれは社会生活を営んだりすることが困難になります。
喪失は避けられない事象だからこそ、喪失を客観的に理解する
これまで述べてきたように愛する人を失うという喪失体験では、人は平常心ではいられません。
なぜならかけがえのない人がこの世を去ってしまうという事実に対して、冷静に受け止めることなど、到底できないからです。
私たちは、愛する人を得たからこそ、それを失ってしまった時に大きな喪失感に襲われるのです。
喪失すること自体は誰にとっても苦しいものです。
だからこそ、その苦しみを多面的なアプローチにより少しでも軽減することが残された私たちにとって大切なのです。