「死んだら終わり」そんな風に思う時もありました。しかし、そうではないという経験もしてきました。
お墓参りに行ったとき、白い蝶が飛んできて、自分の足元(靴)にふと止まった時は不覚にも涙が出てしまった。「ああ、彼女がきてくれたんだ」って感じた。「大丈夫だよ」って言ってるような気がした。後にも先にもその1度だけだったけど、だからこそ彼女なんだって信じられる。#死別後の奇跡 #死別 #愛
— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) July 27, 2021
肉体はなくなっても魂は滅びることは無い。いまはそう確信しています。
そう、今日のお話はまさにここからのスタートです。
本当は死別しても変わってないもの
配偶者の喪失は、人生の中で最もショッキングな出来事です。そこからの人生はお先真っ暗。天地もわからない。もがき苦しむだけの未来が待っています。
しかし、10年以上、このテーマについてひたすら考え実践、行動してきた身からすると、変わっていないこともあるのだと思います。
確かにもう触れることも話すことも、一緒に出掛けることもできません。物理的には不可能です。ただ、言い訳に聞こえるかもしれませんが、その基準だけで考えてはいけないのですよね。
そもそも「夫婦」となることを誓った時に、死を超えてなお、夫婦であろうとしました。「死が二人を分かつまで」ではなかったのです。
時間はかかりましたが、それに気づいたときにヒントをもらった気がしました。
「なんだ、僕らは何も変わってないじゃないか」と。
愛する人は私たちの心の中で生きている
そうです。「愛する人はいつだって自分の心の中にいるじゃないか」ということです。こんなに日々想っているのは、きちんと心の中にその存在があるからです。
もしいないと感じるなら、自分の心の奥の、温かくて優しい場所に招待してあげればいいのです。安全で安心な場所、そこに導いてあげればいいのです。
グリーフプロセスが進み受容できる頃には、自分の心の中に彼女の居場所があるような感覚があります。普段そこは静かに佇む場所なんだけど、気持ちが向いたときにはフッと顔を見に行くような場所。そこは優しくて穏やかな場所で、いつでも彼女が微笑んでいるような感じ。そういう「場所」が心の中に。
— dan325@若年死別者のためのグリーフ情報 griefportal.net (@dan3256) July 28, 2021
そこにいけば、いつでも彼女に会える。そういう考えを持つことは、私たちの心を温かくしてくれます。グリーフワークは個人個人違うため、色々な考え方はありますが、それでも「いつも一緒に居るんだ」と心から想えるような感覚を持てるのは、私たちの乱れに乱れた日々の生活の質を改善してくれます。
「生前も一緒にいたし、楽しかったけれど、死別後も一緒だね」と思えるかどうかは、これからの私たちを支えてくれる大きな要素になるはずです。
「一緒に生きる」という意味
よく「一緒に生きる」という言葉を使うことがありますが、これは「相手の価値観や考えを自分の中に取り込み、自分の価値観とミックスすること」です。「あの人ならきっとこう考えるだろう」というのが分かってくると普段自分ではやらないことにも挑戦できるようになります。
つまり、「新しい価値基準」を手に入れているということであり、当然自分自身もバージョンアップしているわけです。二人で乗り越えてきたことも、また一緒に乗り越えることができるのです。
もちろんそこに至るまでには筆舌に尽くしがたい苦労があるかもしれませんが、ただどちらにしてもグリーフプロセスは長く苦しいのですから、あまり変わらないでしょう。それよりも、「一緒に生きるのだ」と誓い、日々を過ごす方が良いでしょう。
そこにいるのだから全力で愛を叫ぶ
そしてこれがとても大切です。「愛してる」ときちんと声に出して自分(と相手)に宣言することです。泣いたって叫んだっていいのです。生きていても死んでいてもそんなことは関係ない。今までも、今も、この先も、ずっと愛してると伝えればいいのです。
死んでしまったら「愛している」と口にすることは怖いと感じることもあります。その音が返ってくることなく、すっと消えてしまいそうだから。
でもそれは外に向かって(見えない何かに向かって)話しているから。そうではなく前述のように「自分の中にいるあの人」に向かってメッセージを伝えるのです。
それならちゃんと返ってくるはずです。「ありがとう。私も愛してるよ」という言葉は、心がじわっと温かくなることで分かるでしょう。
愛は、時間や生死を超えるのだということを信じて疑いません。こんなに叫んでいて届かない訳がないのです。
もっと言えば、私たち夫婦の愛は、生死や時間ごときに負けることはない。そんなものでは揺るがないのだということです。
今日はそんなことを想いながら過ごしています。